何年前か忘れたけど・・・・もう十数年は経ったかな・・・・テイラー・ヒックスというシンガーが優勝した年からアダム・ランバート(後に再結成されたクイーンに加入)が優勝した年まで、「アメリカン・アイドル」という番組をスカパーのFOXチャンネルで見ていた。
そして僕はその番組を観るだけではなくて、細かく分析したブログを書いていた。昔憧れた「音楽評論家」という職業への僕なりのオマージュでもあった。かなり熱中して書いていた。
視聴者投票によって毎週何人かが落とされ、最後まで勝ち抜いた者が優勝して、メジャーからのレコードデビューが約束される。そんな内容の番組だった。
2000年を過ぎた頃から海外の人との音楽コラボを始めた僕は、英米人の若い才能の発芽を身近に見てきた。だから「アメリカン・アイドル」というタレント育成リアリティーショー的な趣が、当時の僕を強く惹きつけた。どの参加者が才能があるかとか、どの参加者が勝ち抜くかとか、そういう事を予測したり薀蓄を語ったりしていた。
あの頃はなんでそういう事が楽しかったのかなあ?
自分自身の目利き耳利きを確かめるっていうのもあるけど、僕自身が音楽を創って世に出て行くことに対する諦めが根底にあったように思う。そうじゃなければ、他人の音楽人生がどうなるかという事に多大な興味を抱くファン心理みたいなものが僕の中で大きくなるはずがない。音楽業界の中で如何に自分を突出させていくかというどこまでも厳しい命題を僕自身が抱えながら、そんな第三者的な気持ちには絶対になれないからね。
そして自分自身を諦めさせたもっとも大きな原因が
「僕は年を取った。もう無理だ。現実を見よう」
というやつだ。
そして誰もが思うあたりまえのことが
「将来性は若い人間にある」
というやつだ。
若いから伸び白が大きい。それはあたりまえだ。笑っちゃうくらいあたりまえのことだ。吸収力も成長力も若ければ若いほど段違いだ。時代を動かすような天才は若い人間から生まれてくる。音楽だけでなくてあらゆるジャンルにおいて、そんなことはあったり前田のクラッカーだ。
でも、それは一般論に過ぎない。
僕が陥っていた間違いは、
「若い人間にしか将来性がない」と思い込んでいたことだ。
人の育ち方は多種多様だし、才能の性質も多種多様だ。
年を取ったってちっとも不可能ではない。
常識を否定するところから、全てが始まる。