僕が生まれた1961年といえば戦後経済成長の真っ只中。親父は当時日本で新興企業で後に巨大企業になった外資系メーカーの技術者だった。高度経済成長の恩恵を存分に受けた家庭に育った。
その一方で親父は鹿児島の貧乏農家で育った親父の教育方針で青木家は「贅沢はしない」環境で育ったけど、その一方で食生活はわりと贅沢だった。戦時中の食べるものが無い環境で育った反動だろうね。ステーキ・すき焼き・てんぷら・メロン・寿司などの当時贅沢といわれた食べ物がしょっちゅう食卓に並んだ。第二次大戦後にアメリカ文化がどどっと流れ込んだせいで、ハリウッド製の映画やドラマ、ジャズ、アメリカンコミックに皆が感化された。
アメリカ文化享受の社会の中で、僕もアメリカ文化に憧れるようになっていったんだろうね。「奥様は魔女」「ルーシー・ショー」「わんぱくフリッパー」「じゃじゃ馬億万長者」「愉快なブレディ一家」などのアメリカ製ドラマをよく観ていた。劇中で登場人物が作る何十にも重ねたサンドイッチを真似して作ったりもしたなあ。
東京12チャンネル(後のテレビ東京)ではアメリカ製のドラマやマンガがいっぱい放送されていて、僕は大好きだったな。ディズニー物はもちろん、「ポパイ」「スーパースリー」「チキチキマシン猛レース」「幽霊城のドボチョン一家」・・・・テーマソングや挿入歌もしゃれていて好きだった。
それもあって、そのあとに僕がアメリカ音楽にはまったのかもしれないね。