字あまりソングっていうのがある。
いや、僕が勝手にそう呼んでるんだけどね。
ミスチルが始めたんだと思う。
たとえば「Tomorrow Never Knows」だったら、
「痛みを抱き」の「抱き」
「誰かのために生きてみても」の「生き」
「誰も知ることのない明日へ」の「明日」の「あし」
等ね。
それ以前だったらメロディー1音には言葉の音節1個しか乗せなかった。そしてこれがあたりまえだった。
しかしたぶんミスチルが初めてメロディー1音に音節を2個以上乗せ始めた。
洋楽の影響だと思う。「It’s」「I’m」「That’s」「What’s」「Just」とかのこの手の言葉を洋楽ではメロディー1音に乗せたりする。
あと、たとえばBeatlesの「Hey Jude」
「Hey, Jude / Don’t make it bad」の「bad」の「d」ははっきりとは発音しない。
また別のパターン。Beatles「Ticket To Ride」の出だし
「I think I’m going to be sad, I think it’s today, yeah
The girl that’s driving me mad is going away」
の最初の「I」と次の「I」、「The」、「is」はメロディーの流れから見ると邪魔な1音なんだけど、これらの言葉がないと歌詞が成り立たないので補足的につぶやくように低いどうでもいい音で歌うというか発音している。
洋楽は、こういう字余りな歌が多い。というか、ほぼ全てがこんな感じだ。
だから、ミスチルが始めたのはこういう字余りパターンのいわば日本語版だ。
しかし、僕には日本語がメロディーにきちんと乗っかっていないように感じてしまう。不自然に感じてしまうんだよね。

僕が毎朝見てる「エール」の主題歌「星影のエール」にも、こういう字余りパターンがそこかしこに散りばめられている。
「星の見えない日々を 超えるたびに」の「星」と
「互い照らすその意味を 知るのでしょう」の「互い」は、
もしもこの楽曲をインストで演奏するのならば主旋律を奏でる楽器が省略してしまう音符でしょう。
「遠くまで 響くはエール」の「エール」の「ル」もはっきりとは発音しない音。
そして「星」も「エール」もこの歌詞の中でテーマを担う重要な言葉。それがメロディーにおいては補足的な部分に乗せられてしまってるっていうのが・・・・僕はすごくしっくり来ない。
字あまりの無い昔の歌謡曲の方が、僕は納得できる。
でも、こう感じてしまうのは、僕がジジーになった証拠でもある。時代の変化をある程度は受け入れることは出来るけど、根っこの部分では絶対に好きになれないというね。